Spiritual

まだ幼稚園生のころ、鎌倉の建長寺にある茶店で、
母がパートをしていました。
幼稚園が終わってから、母の仕事が終わるまで、
お寺の周りで遊びながら待っていたのですが、
その時の話し相手は、茶店のお客さんやお坊さんのときもあれば、
仏様や龍といった見えない存在だったこともありました。

母方の親戚には、
今思えば、スピリチュアルな能力を持った方が多く、
当たり前のように、幽霊がどうの、という会話をしていたので、
見えない存在が見えることも、
会話できることも、全く不思議に思っていませんでした。

私自身、あまり記憶にないのですが、
高校時代からの親友が言うには、
休み時間になると私の周りによく人が集まって、
みんなの相談を受けていたそうなのです。

特に専門的な勉強をしていたわけではなかったのに、
手相を見ていると、何歳で結婚するね、とか、
彼氏とこうなるね、とか、 伝えると、
それがアドバイスがよく当たる、と評判だったので、
親友からは大人になっても同じことをしているね、と言われたことがあります。
私にとっては、見えたことを話していただけなので、
当たるって何だろう?と思っていたのですが、
そのときにやっと、これが誰にでも
備わっている能力ではないのだと、わかりました。

20代後半のときに、あまりにもいろいろなものを体に受けすぎて困っていると、
知り合いがご神事をしている方を紹介してくれて、
コントロールできるように助けていただきました。
それから、九星気学の勉強をしていくうちに、
自宅にお金を払うからみてほしい、という人がなぜか来るようになり、
お金を受け取らなかったら、代わりに食べ物や洋服を
置いていかれたりしていました。

39歳のとき、母が病気になり、カウンセラーを続けるのが難しくなったときに、
夫が新聞で、「占い師募集 時給1000円 在宅仕事」のような
広告 を見つけてきました。
在宅で時給1000円なら悪くないなと思い、応募してみたところ、
あっさり合格し、霊感占いを始めたところ、
半年で売上ナンバー1になり、その後やめるまで1位をキープし続けました。

40歳の時、メンターになる方と出会いました。
それまで感覚として、見えたり聞こえたりしていたけど、
わかってはいなかったスピリチュアルの理屈を、
メンターから、師匠になった方に教わりました。
3年で仕込むからね!と言われ、そこから3年は勉強の日々でした。

勉強中は、本当にいろいろな出来事があったのですが、
想いで深いのは、蛇に巻かれた事件です。
神社に参拝に行った後に、なんだか呼吸がしずらい日々が続き、
胸のあたりを締め付けられる感覚がありました。
師匠に会うと、「最近、元気?」と確認されることが多かったのですが、
まさか蛇に巻かれているとは思わず、「絶好調です!」と返していました。
いつまでも気が付かない私に、師匠が見かねたのか、
一緒にでかけたときに、ウナギを食べさせられ、
近くの熊野神社に連れていかれて、蛇を取ってくれました。
どうやら、師匠の救いを当てにして、蛇は私についていたようです。

40歳を過ぎてから、本当に人生が変わりました。
今の自分にとって、日常がスピリチュアルだと思っています。
日常生活がちゃんとしていな人は、スピリチュアリティがないと感じます。
霊が視えるとか、チャネリングができる、とか、いろいろありますが、
能力だけではなく、知性や知識があるからこそ、
上からの光が入ったときに、叡智を得ることができるのです。
知識があって、それをアウトプットできなければ、
スピリチュアルではないと私は思っています。
といっても難しいことではありません。
人生の経験が大切です。
経験という種があるから、自分がやってきたことが実になり、叡智になります。

光は誰にでも注いでいます。
しかし、種を持っていないと、何をしても軽くなってしまいます。
日常生活においても、人間世界で地に足をつけてやっていない人は、
いくらスピリチュアルを語っても通用しないと、私は思うのです。

また、種を持っていても、それを活かさない、活かせないのもまた、
スピリチュアルではないと思います。

スピリチュアルは、みなが幸せになるためのものです。
どうか、お一人お一人が、自分が行きたい方向に向かうための種、
自分にとってよりよい生き方をするための種を、
大切に育ててほしいと思います。